https://nihonbashiart.jp/exhibition/2019/08/web-4.html
●期間: 8月5日~8月18日
●企画: 【日本橋Art.jp】 (株)韋駄天 https://nihonbashiart.jp/
自然を構成する森羅万象の中に存在する秩序を抽出し、独自の色彩で再構築して油彩画を制作しています。
Oil paintings like abstract by extracting the order of the natural world.
橋谷勇慈 (はしやゆうじ) の油彩画: 自然界の秩序を抽出して得た形に、独自の彩色を施して抽象画風の油彩画を制作しています。
https://nihonbashiart.jp/exhibition/2019/08/web-4.html
●期間: 8月5日~8月18日
●企画: 【日本橋Art.jp】 (株)韋駄天 https://nihonbashiart.jp/
自然を構成する森羅万象の中に存在する秩序を抽出し、独自の色彩で再構築して油彩画を制作しています。
Exchange show Spanish and Japanese artists at Majorca in Spain.
Naomi Shigeta* Yuji Hashiya* Yoshiya Hongo* Syuta Mitomo*
Organizer: Neus Pastor
Sa Casa Mallorquina & Sa rectoria in Algaida
Exhibition scenery at Solo exhibition in 2019.03, Gallery HINOKI (Tokyo)
“unconditioned nature; abandoning artifice and just being oneself”
個展風景 2019.03, ギャラリー檜C (東京) -無為自然-
Exhibition scenery at Solo exhibition in 2019.03, Gallery HINOKI (Tokyo)
“unconditioned nature; abandoning artifice and just being oneself”
個展風景 2019.03, ギャラリー檜C (東京) -無為自然-
Exhibition scenery at Solo exhibition in 2019.03, Gallery HINOKI (Tokyo)
“unconditioned nature; abandoning artifice and just being oneself”
個展風景 2019.03, ギャラリー檜C (東京) -無為自然-
Exhibition scenery at Solo exhibition in 2019.03, Gallery HINOKI (Tokyo)
“unconditioned nature; abandoning artifice and just being oneself”
個展風景 2019.03, ギャラリー檜C (東京) -無為自然-
橋谷勇慈 個展 - 無為自然 -
3月11日(月)〜16日(土) 東京 京橋
11:30-19:00 (最終日 17:30)
ギャラリー檜 C http://hinoki.main.jp/access.html
今回で10年目の個展になります。
⇒FBイベントページ(詳細):
https://www.facebook.com/events/424452075029072/
自然界の秩序ある形状を題材にした油彩画を約14点(4〜100号)を展示します。
自然を構成する森羅万象には、「何らかの秩序の美」が存在します(例えば、雲、波、水の流れ、木漏れ日、樹形、結晶、ひび割れ、生物の模様など……フラクタルやコンストラクタル)。
そして、今回のテーマは、そんな自然界の題材や造形、色彩調和の考え方を含め、制作に取り組む姿勢として「無為自然」としました。天地自然の働き「道」に逆らわずに制作することを是とするという考え方です。
《追記》
最近、中国の古典に興味があり、気、太極陰陽、易経、五行、老荘思想の勉強をしていますが、そんな中で、「無為自然」という言葉が、今の自分の考えによく合うと感じました。
無為自然は老荘思想(タオイズム)の核になる概念で、無為は何もしないということではなく、作為的なことは何もしないこと。天地は常に無為の状態でありながらも、その働きは常にこの世界全体に行きわたっています。
無為自然は、その働きのエネルギー、つまり「自然の自律的な秩序形成能力」を重視し、それを乱すような人為的な行為をできるだけ避けることを重視します。
天の道を人の道で取り替えようなどとしてはならない。(『荘子』秋水篇)